アイの日記 〜宇宙とつながる脳性麻痺のおばあちゃん〜

宇宙とつながるスピリチュアルなアイちゃんの日記です

石崎アイ 〜 生い立ち 10 〜

五、ガラスの国境

 

アイは先生たちが用意してくれた着替えを持って入浴して入っていくと、浴室プールになっていてお風呂に入った後、プールで泳げるようになっていました。 浴室の担当になった保母さんは、2人ぐらいで水着を着て子供たちと一緒に入ってみんなの体を洗ってくれたり、 温浴プールで訓練の指導をしていました。 アイは自分も体が不自由なのに、いけないと思いながらも、ついみんなの体や動きを見てしまいました。 

それは生きているものの習いでしょうか?言葉や表情や相手の気持ちを決めてしまう。 しかし、人間には知識と判断力というものが生かされているのです。 お風呂で体が温まると、自然と気持ちまで和らいで、不思議と楽になっていきました。 アイはみんなとお風呂に入り、裸の付き合いから始まっていったのです。 そして、アイは早くみんなと仲良くなりたくて、自分からみんなの中に溶け込んでいきました。 お風呂に入って体を洗ってもらった後、アイは恐る恐る浮き輪をつけてプールへ入っていくと、みんな知らない子供たちだけれど、それぞれに声をかけてきてくれたのです。 

「アイさんこっち。 おいで、怖くないよ。 ねプールは初めて、ほらね怖くないでしょう 」

みんなは先生の指示に従って、アイの手を引いてくれて、プールで泳がせてくれました。 両足が大腿部から切断されて、足のない人もいました。 アイは思わず、足がないと思ってびっくりしてしまいました。でもその子は義足をつけながら、 なれなれしく自分のことを話して聞かせたのです。 それは小さいときに親の不注意でコタツでやけどを負ってしまったというのです。アイはかわいそうにと思ったけれど、自分と比べてみても、義足をつければ歩けることだし、 体そのものは普通なので、とてもうらやましいと思いました。 股関節脱臼で手術を受けた人たちにも同じように思いました。 そして、主にこれから手術をする人や手術をした人たちが多かったのです。 

 

脳性麻痺で全く動けない人や、様々な紹介を持った人たちがいて、何事も初めて見る現状なので、アイはただただ驚いていただけでした。今までは自分だけがなぜ体が不自由なのか自分だけがなぜ不幸なのかと心の奥で、 いつも思っていました。こうして見れば世の中には様々な人たちが一生懸命に生きようとしていました。アイは、みんなの姿を見てしみじみ励まされた思いで、自分自身に希望を持てたのです。 
しかし障害を持っていながらにして、みんなは非常に明るくて元気にしていました。果たして自分もああなれるのか、明るい自分になれるのかと心配でした。 そして、あるいは療護園での生活も無我夢中で1週間経ってしまいました。 今までは先輩たちがいろいろやってくれたけれど、 そういつまでも甘えてばかりいられないので、自分で布団をたたんで押し入れに入れるようにしました。 人から何かをやってもらうと必ず「ありがとう、ごめんね」が必要になっていました。 
アイは気を使って些細なことから人の言葉で「ごめんね」という癖がついてしまって、みんなに笑われていました。 みんなと一緒にお部屋のお掃除をやろうとしても、アイはバケツの水を持って歩けないので、ごめんねの言葉がどれほど必要だったか知れません。 アイは先生や先輩たちから悪いことをしてないのだからごめんねは言わなくていいと注意をされても、やっぱりごめんねは心の挨拶の一つになっていました。 指導員の先生たちや看護師さんたちが毎日1人ずつ交代で日勤か宿直と、 翌朝の8時半まで務めるようになっていました。 時間から始まって、時間で終わるこの繰り返しで、施設職員は大変だと思いました。朝の5時頃からまだみんなが眠っている中を、主食の先生が体温計を持ってお部屋の戸をそろそろと開けて入ってきました。 アイも最初は気を使っていたので、先生が回ってくると目が覚めていたけれど、だんだん慣れてきて先生もが入ってきても、目が開かなくなりました。 宿直の先生によって毎回違うけれど、冷たい体温計を脇の下に入れて勝手に測っていく先生もいれば、低い声で一声かけて測っていく先生もいました。 
 
「検温ですよ。 入れられるかな、冷たいけれど、ごめんなさいね、」みんな寝ぼけまなこで対応。 脈拍、体温と脈拍を測ってもらうけれど、みんなは眠っていて、目を開けようとはしません。 朝昼晩の1日3回の検温を毎日365日繰り返しやるのです。 宿直の先生はひと部屋住人ずつで50人の検温を1人も漏れなく済ませた後、 起床は6時半なので、宿直の先生はインター方でみんな起こします。「6時半ですよ。おはようございます。今日も元気におきましょう」みんな起きて洗面をして、 お掃除を済ませた後は7時から廊下へ整列してみんなでラジオ体操第1第2をやるのです。朝食が8時で、食事の合図の音楽に合わせて、皆食堂駅食事を済ませるのです。そして9時からそれぞれの訓練室へ行って、機能訓練や指先とか手を動かす、様々な訓練法に沿って訓練をやるのです。 愛は機能訓練といって、 言語訓練をやるようになっていました。 昼は昼食の合図の音楽で、食堂へ行って食事を済ませた後に病棟は畳のお部屋なので、みんなで座って看護婦さんと検温と脈拍を測ってもらうのです。 1日3回のことで、アイもだんだん検温の測り方体温の測り方と脈拍の測り方を覚えてしまいました。 3時には、金平糖を動物余市(ビスケット)が2・3個、おせんべい1枚、食堂に1人分ずつ、お菓子のお皿に盛られたおやつを楽しみにいただくようになっていました。 訓練時間は4時までなので、その後おなかがすいたり喉が渇いていても、水道でお水を飲むしかなかったのです。 指導員たちに見つかるところお腹を壊さないようにと注意をされるのです。 夕食は5時でまた夕食の合図で食堂へ行って食事を済ませてお部屋で検温をやります。そして当時は白黒テレビだったので、みんな食堂で白黒テレビを見たりしていました。 夜の7時には、夜のおやつに果物が出て、リンゴ4分の1とかバナナ みかんと、毎晩交互に宿直の先生が各お部屋に配ってくれるのです。 3食のご飯を食べたか残したか大小便の回数とかを宿直の先生に報告するのです。アイは毎日013、3色の残さなければ0、大小便1、小便3というようになっていました。それで1日が終わって消灯は9時でお部屋をなくして、皆静かに眠るのです。 

石崎アイ 〜 生い立ち 9 〜

「嵐に耐える白百合」

 

そしてアイは草を取りに出て行って帰る途中で大雨に当たってしまったのです。

雨宿りをするところもなくて、大きなクルミの木の下で雨が止むのを待っていながら、いろいろなことを考えました。

弟や妹が学校の帰り道に雨が波降ってくると、

両親は傘を持って迎えに行くのに、

アイがびしょびしょ濡れになっていても、誰も迎えに来てくれませんでした。

アイは悲しい気持ちになっているとはるか先に見える家並みに

風と雨にさらされながら白色の花が揺れていました。

アイは自分の生き方をあの白百合に似せて考えずにはいられなかったのです。白百合が凛々しい姿に見えて、自分も下向きの姿勢で、

強く明るくたくましい人生を歩みたいと思いました。

敬一は自分が良いことをしていると気がつき、楽しみが湧いて、

得意そうに言いました。

「ねえやん、水沢先生から手紙だぞ。先生なあ、明日授業終わってから家に来てくれると!」

水沢先生は特別に家に来てくれて、アイとともに家族にまでも教育してくださいました。そして水沢先生は、教育者の立場から家庭のしつけから愛情面いろいろな面からを話してくださって、

家族の考え方も変わってきて、特に両親の考えが変わってきたのです。

勇気と正義感を人に教え、自ら行動を示すことはなかなか難しいことです。

まつ江は信仰者の人たちからアイのために心を信仰に向けた限り、

そのことを大事に思わなければ、一家は救われていかないことをそ言われていました。

常に感謝の心を忘れずに持ち続けていることが何よりの救われる道だとよくよく聞かされていたのです。

そしてまつ江は自分は不幸だと思わないで、家族の安泰になるように祈ることが幸せな境涯を導くことだと聞かされていました。

人間誰しも危機が迫ってから、真剣な心や素直な心がよみがえるものです。

 

しかし、長年にわたり身についた行動を新たに入れ替えることはなかなか難しいことでした。
まつ江の友達も信仰者の1人なので、その人がアイを心配して来てくれたのです。
アイはとても懐かしさで甘えてしまい、つい、母親に言われたことを悔し紛れに話したのです。
すると困ったように、まつ江を呼んで意見をし始めたのです。
「まつ江、あなたは自分のことしか考えてないんじゃないの。
アイを何だと思ってるの。あなたは馬鹿ね、アイのことを本当に考えているの何を言っているの!第1あなたの一番かわいい子供でしょ。かわいそうにね、はいこれからお母さんがね、いろいろ言ったらすぐおばちゃんに言いなさいね。いいわね、全く母親のくせになっていない母親だね、あなたという人は!」
まつ江は友達の恭子に説教されて、そのときだけは目に涙を光らせてわかったように見えました。
まつ江は母親としての自覚があるものの、三つ子の魂百までもと難しいことでした。
それからしばらくして、敬一の小学校の校長先生と水沢先生はアイのためにいろいろと提案を練って、養護学校福祉施設を心配してくださっていました。
弟の敬一も4年生になり、担任は水沢先生から男の先生に変わったのです。
その後1年くらい経って、水沢先生は一身上の都合で教員を辞めることになりました。
水沢先生は学校を辞めてからもう2年余り、アイのために毎月家まで訪問してくださって、ケージを使った教科書で勉強を教えてくださったのです。
祖母は14、14歳になったアイの将来のことを考えると心配で水沢先生にお願いせずにはいられなくて、相談を持ちかけました。
「先生にこんなことをお願いする次第ではねでやすがな、この子が不憫でな。
わしはこの子が一人前になるまではなあ、心でも死にきれねですよ明日は
わし概念あとは、
心配でしてな。
どうなっていくことやら安心できね安は先生何分にもお願い申しますわ」

 

ミツは涙ながらに畳に頭を擦りつけて、
神や仏に乗るように、アイのことを水沢先生にお願いしていました。
水沢先生は、家庭の事情がよくないことを悟ったらしく、88歳の祖母を励ましてくださいました。
「おばあちゃん、そんなに心配なさらなくてもよろしいですよ。
これからは福祉事務所からもアイちゃんのことは心配してくださいますからね。
多分親良、ご両親だって心配しておられると思いますよ。私もなんとか力になれると思っておりますのでねアイちゃんもいろいろわかっているようだからね頑張るのよね」
水沢先生はアイの膝を軽く叩いて言いました。そのときからアイは心の中で何か芽生えさせようと考えていました。そしてアイは母親が用意してあった材料で、夕食の支度をしながら竈門にぼやを
くべて燃え上がる火を見ながら自分の姿を思い浮かべていました。アイは自分の人生は自分自身で決めていかねばならないと思ったのです。その晩思い切って祖母密に言いました。
「ばあちゃん私決めたよ、諏訪の用語療護園へ行くよばあちゃんと別れるのはちょっと寂しいけれどしょうがないよね」
アイはとっても悲しくて泣きたい思いだったけれど、泣くのを我慢して言いました。すると祖母はポロポロ涙を流し、非常に寂しそうに言ったのです。
「そうか、そうか寂しくなるな。そうだなあ我のためにはその方がいいな。
こんなところで
意地こじされているよりはなあ、嫌だったら軽って来いよ」
あるいは自分の気持ちが決まったので福祉施設に入りたいことを言うと、母まつ江は今までと打って変わって急にしおらしくなり戸惑っていました。
水沢先生は、アイの話を聞くと、アイを抱きしめて喜んでくださいました。
急にみんなが優しくなったので、照れくさいような気持ちで変な気分でした。父親も本当の我が子のように世話を焼いて心配してくれました。
そしてしばらくたって福祉事務所の方たちが来てくれて、当時の諏訪郡下諏訪町にあった。
肢体不自由児児童福祉施設品の生資料声に入る手続きをしてくださったのです。
周りの人たちも安心したように、アイのために本当に良かったと喜んでいました。

 

しかし、アイは様々な思い出が残された家と、いろいろなことから自分を育ててくれた祖母に別れを告げて出ていくことは非常につらい気持ちだったのです。
そして翌年、昭和38年3月に、アイは15歳で人生の旅立ちとなっていきました。
役場の人たちと自転車に乗った自動車に乗って、下諏訪に入ると諏訪湖が見えてきたのです。
アイは珍しくて、湖を見ていると、療護園の玄関前に着いてしまいました。
実は療護園から諏訪湖が丸見えだったのです。いよいよ今日からアイの新しい生活が始まろうとしていました。指導主任の先生から園内を案内から、施設の規則の説明をされた後、
家族の生活状況から、アイの今までの心境などをいろいろと細かく聞かされます。聞かれました。
世間慣れしていないまつ江は田舎言葉で聞かれるままに、アイの分まで答えてくれていました。
そして園内が広くて手すりに捕まって歩いても、アイの歩く速度では大変でした。福祉事務所の人たちに帰る準備を進められてまつ江は涙を浮かべながら言いました。
「アイ、かあちゃんはなこれで帰るかな。元気でいろよ」。
アイに別れを告げたけれど、心配で後ろ髪を引かれる思いで、自動車に乗り込みました。今までと全く違った生活に変わっても、アイはみんなと仲良くやっていけるか心配で、まつ江はアイのいない寂しさと不安で泣いていました。
当時、児童福祉施設に入れば、1年間は家に帰れないし、食べれものは、たとえ家族のものであっても外からのものは一切禁じられていました。
お部屋は1病棟2病棟とあって、病院形式になっていたのです。1病棟は1号室から7号室まで、ベッドの55部屋で医者や看護師が管理していました。
2病棟は杉松竹梅といった順に4部屋になっていて、保母指導員の係でした。
そして、園長先生は医学でも整形外科で有名な井上正夫先生でした。
アイは初めてなので心細い思いでオロオロしていると、指導主任の田中先生は、アイを部屋まで連れて行ってみんなに紹介をしてくれました。
 
田中先生は結構お年を召されていて、見た感じのが観音様がポツポツと説教しているような静かで説得力のある喋り方をしていました。「はい、アイさんのお部屋はここですよ、皆さん。今日からね、今日新しく入られたアイさんですよ。仲良くやってくださいね。皆さんよろしくね」田中先生は静かに去っていきました。アイは1人取り残されたように、緊張して体中がカチカチでした。皆は笑顔で迎えてくれて、アイを囲むように話しかけてくれたのです。自分よりも年上の人たちが大勢いて、よく面倒見てくれました。そしてアイは2日目になって、窓の外を眺めているうちに涙がこみ上げてきて、家族のことやいろいろなことをが思い出されてきて、どうしようもなく、泣き出してしまいました。みんなはアイを抱いたり、おぶったりして慰めてくれたりしました。指導員と保母さんたちは始まったというように、という様子で、アイを入浴室へ連れて行きました。

石崎アイ 〜 生い立ち 8 〜

4、アイの旅立ち

 

水沢先生は女性だけれど、活発でたくましく厳しさあり、優しさもあり人間性からいっても教育者としても立派な指導者だと思いました。

こういう人間性のある先生に、身近に勉強を教えてもらえることはとても幸せなことでした。

水沢先生に認めてもらえたことで、ある面では、アイはとても恵まれていました。

アイに日記を毎日書かせて、敬一に学校へ持たせるようにと言ってくださったのです。

水沢先生の熱い志と敬一が中心になって、「動く教室」になってくれたので、

おかげでアイは、国語、算数、理科、小学校4年生までの勉強を学ぶことができました。

アイもだんだん大人になりつつ、自分の心でいろいろ年前からを学び取っていたことで、考え方も行動も全て素直すぎるほど素直な性格でした。

それは母親譲りのところもあって仕方がないことかもしれません。アイも自分の意見を言えるようになったので、家族はアイを生意気だとか、肩輪者だと見るようになって、みっともないとまで言われるようになりました。年頃になったアイは、まともに見てもらえない自分がとてもつらくなってしまい、一生大きくならないで、白雪姫の小人のようにいられたら良いと思っていました。当時の人たちの考えは、体の不自由なものを公に出したくないという考えでした。世間の目障りだと考えていた人たちが多かったため、障害者は外へ出ることを恐れていて、おそらく人並みに見てもらえる人は少なかったのではないかと思います。そして、アイも他人の目からジロジロ見られることがとてもつらくなってしまったのです。福祉関係の人から役場の人たちに、アイは初めて「障害者」という言葉を聞きました。妹の和泉も大きくなって、アイは和泉と楽しく遊んでいると父親が来て、和泉にかわいいよ洋服を買ってくれたと言って、妹の和泉を抱いて連れて行きました。アイにも何か買ってくれてあるかと思い、喜んで行ってみると、アイのものは一つもなかったのです。とても悲しくて、アイはその場にいられなくなり、畑へ行って思いっきり泣きました。そんな気持ちを誰がわかってくれようか。アイは誰にもわかりっこないと思いました。母、まつ江は母親でありながら、父親と一緒になって、アイに嫌味を言うようになったのです。アイも負けずに口をきくようになったので、まつ江はだんだん面白くなくなって、アイに言いようもなく、最初はいつも、おめえの親父は馬鹿でな。と始まるのです。そしてクドクドと口話が永遠に続くので聞くのが嫌になりました。まつ江は自分自分の我が子であるアイに普通では考えられないことまで言ってしまうのです。

 

「アイ!お前も女だ、いいか、女の子はなあ、月経っつうものが来るんだ。月経があるようになったらどうするだ」学校へ行かれなくなったアイは母親しか教えてくれるものがいなかったのです。まつ江の言葉は、母親として考えられない言葉を言ったのです。お前みたいなものは月経になったらな、尻から血でも垂らしながら村中這って歩けぇ!これまで言わなきゃわからねんだ」そしてまつ江はアイを家の厄介者とまで言って、まつ江はその場を去っていきました。アイはいくら憎らしい子供であっても、あんまりだと思い、悔しさとか悲しさで泣きました。母親から思ってもないことを言われて腹が立って負けずに言い返しました。「そんなににくかったらなぜ殺さなかったんだ。首を絞めて殺しちゃえばよかったんだ。今更何を言うんだ。今言ったことはな母親の言葉じゃねや!」母まつ江はアイに言われて驚いてしまい、言い訳をしながらも、アイのせいだと決めつけていました。小さい頃から母親や父親に嫌なことを言われ、心に傷をつけられてきたアイはおかげでとても強くなりました。しかし、アイは非常につらくなってしまい、なぜ母親が嫌がらせを行ったり邪魔をにするのか、自分が惨めに思えて、水沢先生に手紙を書きました。水沢先生は、アイに励ましの言葉でしっかり返事を書いてくださったのです。「アイちゃんも苦労して大変だったんですね。精神を鍛えた人は強いですよ。何事にも負けない立派な人です。先生もたくさんの苦労を味わいました。あなたのように頑張っている人は素晴らしいと思いますよ。苦しいことがあるから頑張ることができるのです。先生、楽しみにしています。頑張った後は、とっても清々しい良い気持ちになれますね。先生、今のところ忙しいけれど、アイちゃんのために頑張って、必ず会いに行きますからね。それまで待っていてください。それではお会いする日を楽しみにしています」

水沢先生にわかってもらえたことで、アイはとても嬉しいと思いました。

石崎アイ 〜 生い立ち 7 〜

「愛を求めて死を選ぶ」

 

アイは心の迷いから半分やけくそで、何かお手伝いでもしてやれと思いました。

祖母は、庭のアンゴラウサギを飼っていたので、金網越しに1本の草をやると、ポリポリとおいしそうにウサギは耳を立てて喜んで食べたのです。

アイはだんだんウサギが可愛くなって餌をやらずにはいられなくなったのです。

うさぎに餌をやりたいために、思い切ってウサギの草取りをやることにしました。

車椅子に、コシゴと鎌をのせてでこぼこ道を歩くのは、アイにとって必死の思いでした。

そして草を取ってくると、祖母が喜んでくれるので、アイはますます頑張るようになりました。

いつも心に希望を持って自分を信じて満足しながら、夢に向かって大きくなれば、絶対に歩けるんだ、勉強して偉い人になるんだと思っていたのです。

アイは最初、近いところで間に合わせようと、何も構わずに草を取っていました。

「アイちゃんダニー!お手伝いできるようになっただかい?良かったにぃ!」

まわりの人たちはびっくりしてかわるがわる声をかけながら通り過ぎていきました。

父省吾は敬一に小遣いをやるから、アイと一緒にウサギの草取りをやるように言いました。

「敬一、遊んでばかりいねで、ねえやんちウサギの草取りでもしろ、いいか!」

敬一は学校から帰ってくると、遊びたいの我慢して仕方なくアイと一緒に車椅子をしながら、

田んぼや畑草狩りに行きました。

「これがうちの田んぼ?」

アイはびっくりすると敬一はそっけなく答えたのです。

「そうだよ、ねあんはどこで草を取っていたんだ、馬鹿だなあ。

あれはよその家のものだぞ、黙って取れば怒られるぞ!」

アイは困ってしまい悪いことをしたと思って夕食のとき、家族の人に聞いたのです。

すると、父親はアイの気持ちもわからないで笑いながら言いました。

 

「そんな少しぐれぇなこと、どうってことねさ、敬一がわかっているわな」しばらく続けた草取りだったけれど、敬一は飽きてきたらしく、どこかへ遊びへに行ってしまったのです。「俺小遣いなんていらねよねもらっておけ!」

アイはまた1人で草取りをやらなければならなくなりました。両親は子供たちを遊ばせる前に必ず仕事をやらせるという考えでした。敬一は、次の仕事に鶏を飼うことを父親から命令されてしまったのです。アイと敬一はいつも父親の様子を伺いながら育ってきました。毎年4月頃から10月までは、田んぼのあぜ道や、畑の土手に這い登って、雨が降っても風が吹いても草取りは続けました。冬の間は母親が桑の葉を取っておくので干し草と混ぜてお湯や水で湿らせて、ジャガイモと野菜のくずを細かく刻んで、ウサギの餌にしていました。冬になるとアイの手は、ひびやあかぎれでいつも血がにじんでいました。かわいいウサギの子供を増やし、ずっとの家を買って、売れたお金で下着下着や靴を買ってもらうつもりで一生懸命仕事をやりました。しかしお金は父親が、全部まとめてしまい専門もらうことができませんでした。父省吾の考えは、アイは家にいるので、どんなボロでも切れればいいということでした。アイは非常につまらなくなって生きているのがつらくて嫌になってしまったのです。お小遣いはもらえず、着るものも買ってもらえず、アイは悲しくて死にたくなりました。厳しさに負けてくじけそうになると祖母が言っていたあの言葉が、アイの耳の奥にくっきりと残されていて、いつも励まされていたのです。

 

タンポポのような根強い良さと辛抱強さだぞ」

 

アイは子供ながらにいつかきっといいことがある絶対にあると思っていました。祖母は、老齢年金4ヶ月で2000円足らずのお金でアイに下着や靴用靴を買ってくれました。貼って草取りをしているので、アイのズボンの接ぎだらけ、祖母は針仕事に大忙しでした。月日が経って、アイは12歳の春を迎えて、今年もウサギたちが、アイが一生懸命取ってくれる新しい草を待っているようでした。鎌とコシゴをつけて、車椅子を押しながら農道へ出ていくと、桜の花が満開でした。アイは田んぼでお花見ができるなんてとても嬉しいことだと思いました。夏になると両親は毎日休みなく蚕を飼って桑採りで大忙しです。それに父親はいろいろな家畜を飼っていて、蚕を飼うことは主に母親でした。金銭経済全て父省吾が賄っていたので、家族は誰も自由にならないのです。「まぁず、こんなに一生懸命苦労してやったって一戦にもならねだからな。つまらねもんだに」まつ江はぼやき続けていました。当時、社会行政が厳しい世の中だったので、生活先ずの生活の貧しい人たちが多かったのです。蚕が終わると両親は妹を連れて、村の人たちと1年に1回の秋の慰安旅行に行くのです。両親もいないし、誰にも見られないアイには良いチャンスだと思いました。祖母ミツは夕食を済ませ、アイと敬一に行かせたのです。「今夜はな、父ちゃんも母ちゃんもいねからな、いい子で寝ろよ」アイは寝たけれど夜中に目が覚めてしまいどうしても眠れなくて、暗闇を抜け出して父親がいつも使っているお農薬の場所をわかっていたので持ち出しました。生きているのがつらくて、もし死んで天国へ行ってゆっくり眠りたい、楽になりたいとそんなことを考えながらアイは思い切って毒薬を飲んで死ぬことを決めました。家から1kmぐらい離れた桑畑までアイは張っていき農薬を飲もうとしました。

 

けれど、アイの力では農薬の瓶のキャップが開けられなくて飲むことができませんでした。そのうちに眠くなって、アイは畑の中で眠ってしまいました。そしてまだ薄暗い夜明け頃に、どこからかアイを呼ぶ声が聞こえてきたのです。周りの騒がしさに目が覚めたアイは、自分が桑畑家で寝ていることに気がつきました。「ばあちゃん・・」思わず泣き出しました。近所のおじいさんおばあさんたちが心配して集まってきました。「おおいたいた、こんなところにいやしたはい、アイちゃん駄目だに」祖母は安心したように、アイを抱き、みんなに頭を下げ、よくお礼を言いました。「ありがとうごわした。申し訳ねだがこのことは、アイのために、うちの若えもんには黙っていてくれやせんかな」祖母はまつ江や省吾の耳に入るとアイが怒られてかわいそうな目に遭うということでみんなに口止めをしたのです。「わかっていますよ、みんなわかって癒すからな。おミツさんも大変ですやな」みんなは気の毒そうに去っていきました。そして祖母はアイが持っている農薬の瓶に気がついたのです。「こんなものをどうしたんだ、こんなものを飲んだら死んじまうぞ馬鹿め!」祖母は泣きながら怒ってアイの手から農薬をひったくってポケットに入れました。「馬鹿者、つまらないことを考えるじゃねわ、子供のくせに!アイが信じまったらな、誰も喜びやしねだぞ、喜ぶのはカラスぐれぇのもんだ!」アイは泣きながら祖母に背負われて家に帰ったのです。祖母は涙を拭きながら一生懸命アイに言い聞かせました。「いいか、人間は死ぬ気になったら何だってできる。死ぬ気で一生懸命生きろ。命を粗末にするものがあるか、いいか、バアヤンが死んでいなくなっても、お前はしっかり生きていかねばならないんだぞ、わかったな」アイはこのときから根性を入れ替えて自分自身の生き方を考えたのです。そしてアイが考えているうちに、弟敬一が教わっている小学校の水沢先生が家庭訪問に来て、アイを見て勉強特別に勉強を教えてくれると言ってくれたのです。周りの人たちや福祉事務所の方たちが心配して進めてくれる児童福祉施設に入ってみようかと思ったけれど、しばらくの間水沢先生に勉強をおそわろうと思いました。

石崎アイ 〜 生い立ち 6 〜

 

3、たんぽぽの冒険

 

ポカポカ暖かい春日和で、アイは縁側で日向ぼっこをしていました。

すると小鳥のさえずりが聞こえてきて、真っ青な大空を小鳥たちが飛んでいたのです。

気持ち良さそうに空を飛んでいる鳥たちを見て、アイはとても羨ましくなりました。

小鳥のように羽があって空を自由に飛べたら楽しいだろうな。

そんなことを思いながらアイは、

庭先に咲いているタンポポの花を見つけました。

お日様の光を浴びて金色に輝いてたくましさを出しているように見えました。

タンポポの横にスミレの花がかわいらしく寄り添うように咲いていて、清々しい風に吹かれて揺れていました。

心の優しいアイは目に見えない自然の何か不思議なものを感じていました。

偉大な力、素晴らしさすごさがあることを肌で感じ取っていました。

アイは自分の手で、タンポポの花に触ってみたくて、土の上を這い出しました。

するとどこから

フワッと風に乗って花のいい匂いがしてきました。

アイは眠くなって、花の香りに乗って綺麗な花の国へ行ってみたいと思ったのです。

そしたら祖母がアイを心配して探していたのです。

「これ、どこまで這っていってるだぁ!ベト(土)だらけになるじゃねか!」

アイは自然と戯れて、

祖母が来たので、思わず聞きました。

「ねぇばあちゃん、綺麗な花の国ってある?アイ行ってみたい、行ってみたい!」

祖母は忙しかったのか、面倒くさそうに少し怒ったように言いました。

「そんなものあるわけねじゃねか、馬鹿め!」

祖母にそっけなく言われて、アイは目を閉じてしまいました。

そして父省吾がアイのために竹で松葉杖を作ってくれたので、杖を使って松葉杖と、転んだり起きたり、一生懸命歩く練習をして一歩一歩歩けるようになりました。

 

アイは、泥まみれになっても、車椅子から離れて歩こうと頑張りました。ふと見ると、タンポポの綿毛が1本風に吹かれてふわあっと舞い上がりました。そして田んぼや畑に回っていったり、古い小屋に舞い上がったりしていました。あっちこっちの古い小屋の屋根に、それは田んぼのハゼ棒を入れておく小屋です。タンポポの花が咲いていて、まるで小屋が花かんざしをしているように見えました。

私はどこまで飛んでいくのかなあ、 アイは非常に興味を持っていたのです。そんな風景を楽しみながら、いつも夢を描いて希望を持っているアイでした。けれど楽しくしていると、いつも邪魔が入ってしまうのです。弟の敬一がアイのそばへ駆け寄ってきて、機嫌が悪かったのか、わずかばかりのタンポポの花を棒で叩きちぎってしまったのです。アイは悲しくなって泣きながらやめるように言ったけれども、反抗期になっていた敬一はやめるどころか、なお面白がって続けたのです。

アイは非常に腹が立って、敬一と喧嘩をしてしまいました。

「やめろって言うのに馬鹿たれ。くそったれ。寝小便垂れ!」

アイに嫌なことを言われ敬一は悔しくて泣きながら父親のところへ飛んでいきました。父省吾にとって、敬一はかわいい一粒種で、なさに仲のアイが少し憎かったかもしれません。省吾は目をギラギラ光らせ、拳を震わせ怒ってきました。今にも殴り飛ばしそうな剣幕でとなってきたのです。アイはとても怖くて逃げ出したかったけれども、動けないので、その場でしっかり目を閉じたまま、お地蔵様のようになっていました。

「こらぁ、寝小便こきがあるか!敬一が寝小便こきなら我はなんだぁ!飯ばか食らいやがって何もしやがらねくせに何を言うだ!」

子供の喧嘩ぐらいで父親がムキになって怒る必要があったのか、このときアイは母親にすがって思いっきり泣きたい気持ちでした。アイはそんな騒ぎを聞いて驚いたのです。

省吾はこのときとばかりにアイを憎々しげに、まつ江に向かって嫌味を言いました。

「この馬鹿アマめえ!てめえのガキだけのことはあるわ」

まつ江は悔しさで、アイにあたり、イジイジしながら、アイの肩を揺すって泣きました。

「アイ、お前は馬鹿だになんてことを言うズラ、馬鹿!かあちゃんの身になってみろ、本当に馬鹿で馬鹿でどうするズラ」

まつ江は自分の立場がないように言っていたけれど、泣いていました。

アイはないものねだりをして母親に抱きしめられて思いっきり泣きたかったのです。兄弟なのになぜ自分だけがつらい思いをしたり、嫌な思いをしなければならないのか。まだ11歳のアイにはわかるはずもなく、泣きました。

「神様ってひどいや、神様なんているもんか。

みんな歩けるのに、なんで私だけが歩けないんだ何故なんだ。悪いことなんかしてないのに何故なんだかあちゃんの馬鹿!」

アイは泣いて泣いて泣き喚いてどうしようもなく母親にぶつかっていました。

まつ江は泥まみれのアイを抱いて、祖母ミツのところへ連れて行き、まつ江は省吾と子供たちの喧嘩の経緯を聞いて、話して聞かせました。

どうしようもない様子でミツは、目に涙を光らせて笑いを浮かべていました。

たんぽぽはなぁ、根の強いものだからなまたすぐに咲くわさ!アイ、タンポポのようにな、根性のある人間にならにゃ駄目なんだぞ!」

アイが強くなるために、ミツは少し厳しい目つきで言い聞かせました。アイはそんなことを聞かされてもわからないので、一生懸命首をかしげていました。

根っこの強いもの、タンポポには根っこがあるけれど、なんだろう、人間には根っこがないばあちゃん人間の根っこはなんだい。

祖母は笑い出してしまい、最もだというように教えてくれたのです。

「根性だわさ、辛抱強さとど根性だ、アイもど根性で頑張れよ!」

いきなり辛抱強さだのど根性だのと聞かされても、いくら考えてもアイには理解ができませんでした。とにかくアイは思う存分勉強したくて、敬一の使った教科書を全て読みました。

敬一が学校の図書から借りてくる本を代わりに読んで敬一に感想を教えていました。おかげでアイはたくさんの本を読ませてもらい、それが敬一のためにも良かったのです。働くことが好きなアイは、自己流で絵を書いたり、人形を作ったりしていました。そして家に来る人たちがアイの作品を見てとても感心してくれました。そして月日が経って、昭和36年頃から福祉行政が大幅に行われて、福祉制度や福祉施設の完成など、周りの人や福祉事務所の人たちがアイを心配して家まで訪ねてきました。祖母ミツは、家庭内の状況やアイの心境を話すと、福祉事務所では、アイのことや家の事情を全てわかっていて、福祉施設への入所をすすめてくれたのです。アイは子供ながらにこんなつらいところから逃げ出したいと思っていました。しかし、いざとなれば家族と離れ離れになることはアイにとってとても寂しいことでした。

石崎アイ 〜 生い立ち 5 〜

「アイの夢の世界」

 

「ばあちゃん、昔話をしてくれる?」

「アイ、太陽姫みたいな子になるだよ」

アイは昔話に出てくる素晴らしいお姫様を演じて、夢を現実にしていました。

「だってさあ、太陽姫はばあちゃんと2人きりでしょう?(太陽姫と大蛇のお話)」

「アイもばあちゃんと?」

「アイはかあちゃんといるんだよ」

祖母は眠りから覚めたように笑い出し、昔話を始めるのでした。

「ああ、そうだとも。アイは強い子だ。お前は賢い子だ。本当にわがままな爺様だったなあ」

どっこいしょ、一息ついてから、善治郎を思い出すかのようにつぶやきながら起き上がって、祖母ミツはアイのおかげで、元気を取り戻したようでした。

「昔な、ある女の子のところにな。エラーい王子が現れてな・・・」

アイは祖母の語ってくれるいろいろな昔話が大好きで唯一の楽しみでした。

そして昭和29年9月にまた女の子が生まれて、アイに妹ができたのです。

「お前は姉ちゃんになったんだ、いいな、わがまま言うじゃねだぞ、わかったな!」

3人兄弟になったアイはわがままから我慢に変えられてしまったのです。

アイは祖母が聞かせてくれる昔話に出てくる物語の主人公肉の気分になったり、幼いアイは自分のために母親が真剣に祈っている姿に不思議と何かを感じ、子供ながらに知恵が回り、アイに笑顔が浮かぶようになりました。

かあちゃん、アイ、歩けるように拝むの?アイ歩けるようになるよね?」

まつ江も優しい心で目に涙しながらアイを抱きしめました。

そしてアイはますます元気になり、明るい子になって感謝を表せるようになったのです。

母親の愛情が、親子のスキンシップが、子供にとってはどれほど必要で大切か。

そして、昭和35年頃、福祉事務所からアイに車椅子が支給されてきました。

当時の車椅子は鉄のパイプでできていたので、音も大きく重さがありました。アイは最初、車椅子に乗せられると、とても怖くて体が硬直してしまいました。

弟の敬一はまだ6歳だったけれど、車椅子に興味を持ってしまったのです。

敬一は身体が小さいけれど、アイを車椅子に乗せて一生懸命押してくれました。

車椅子をもらったおかげで、敬一はアイを遊びに連れ出してくれることが多いので、家族の手は少しずつ離れてきたので、特に祖母は楽になりました。そして弟の敬一が学校へ上がるようになって、学校から帰ってくると、車椅子を持ってきて、「ねえやん、乗れ!俺を押してやるぞ、遊びに行けやぁ」そして、遊びに紛れて家に帰るのは、夕方真っ暗になることがしばしばでした。友達と別れて、恐る恐る家に帰ると、父親と母親が待ち受けていました。「これはいつまでどこで遊びに行ってるだ、馬鹿野郎めえ!なぜもっと早く帰ってこれねだ、飯なんかくれねからな!」父親に怒られて、敬一は目にいっぱい涙をためていたけれど、謝りませんでした。「さあこっちへ来い、楽じゃねわ。もっと暗くならないうち帰ってこうよ」祖母ミツは敬一を慰めるように抱き寄せてエプロンの袖で涙をふいてやりました。「ばあやんがそうやって甘やかすからいけねだわい」まつ江はアイを車椅子から抱き下ろしながら、祖母ミツに怒りつけたのです。「うんにゃ、さあ、子供はなおこれシラミがたかるぞう」ミツは子供はあまり怒るとビクビクする癖がついてしまうというのです。アイと敬一はどれだけ祖母のおかげで心の安らぎを持ってたことが知りません。アイも車椅子にだんだん慣れて怖くなくなりました。弟の敬一はとても優しい気持ちの優しい性格で、学校から帰ると必ずアイを車椅子に乗せて遊びに連れていく優しい男の子です。
「ねえやん、車いすに乗れ!遊びに連れて行くぞ、早く乗れ!」アイはいつも通り敬一に遊びに連れ出してもらったけれど、その日にはアイと車いすを置き去りにしてどこかへ遊びに行ってしまったのです。1人ぼっちにされて、アイは困ると、場所が少し坂だったのか、車椅子が勝手に動き出してしまいました。「怖い助けて!嫌だ敬一敬一!」車椅子はアイを乗せたまま、田んぼの土手にぶつかって止まりました相葉車椅子から転げ落ちたけれど、幸い怪我はなかったけれどとても怖い思いをしてしまいました。その後、アイはとにかく立たなければと思い、祈る思いで車いすに乗ろうとしました。けれど、足の力がなくて何回やっても立てませんでした。こんなとき誰か助けに来てくれたらと、アイは本当に困ってしまういました。でもどうしても立たなければと思い、汗をかきながら一生懸命頑張ったのです繰り返し繰り返しやっているうち、どうにか立てるようになったのです。立てたアイはもう嬉しくて思わず泣き出してしまいました。アイは車椅子から落ちたおかげで立てるようになったのです。そして、一生懸命汗をかいてとても疲れたアイは自分で車いすに乗ったのです。しばらく経ってケージが来て、あれ誰か来たのか、さあ家帰ろう。家に帰ったアイはその出来事を祖母に話したけれど信じてもらえませんでした。次の日からアイは自分のことを信じてもらいたいと一生懸命立つ練習をしました。それからは毎日立っては転び、立っては転びしばらく6ヶ月ぐらい続けたとき体中アザだらけになっていたけれども、 アイは捕まらないで一歩一歩歩けるようになったのです。その時、母と祖母の目には喜びの涙が光っていました。今までのアイの状態を考えると茶碗とスプーンを持っても後ろへ転がってしまい、頭から顔からご飯粒だらけになってしまう1人では食事ができませんでした。そんな状態のアイが、まさか歩けるようになるとは誰も予測していませんでした。これは奇跡としか言いようがありません。アイは車いすを押して歩けるようになったので嬉しくて、ガラガラガラガラ音を立てて周りの人たちに喜ばれるままに、近所中、遊び歩くようになっていました。そして、 アイの人生は、アイ自身で変えていったのです。

石崎アイ 〜 生い立ち 4 〜

まだ5歳のアイには理解は無理なことで、ただ唖然として聞いていたけれど、だんだん苦しくなってしまい、怯えて泣き出してしまいました。

アイはバスタオルにくるまったまま、父親のそばへ連れて行かれたのです。

そして母松江の言葉がどれだけアイの心の衝撃になったことか、目にいっぱい涙をため、母親の血顔と父親の顔を見つめていただけでした。

省吾は黙って新聞を見ていたけれど、まつ江の言葉を聞いていてどう思ったのか、その後アイは、とにかく母まつ江の言葉が大嫌いになってしまったのです。

アイは母親の言葉を聞いてから父親に変な気遣いを覚えてしまい、オシッコしたいときでも、父親に素直に言えなくなって、我慢をするようになってしまいました。

そしてアイは父親に甘えたり、欲しいものをねだることができなくなってしまったのです。

アイは両親に言いたい言葉もスムーズに言えなくなってしまいました。

父省吾は、アイの心を何とかほぐそうといろいろやってみたけれど駄目でした。

アイの心はだんだん下がっていくばかりで、父親が世話をしてやろうとしても良いと断るようになってしまったのです。

 

アイは、母親と祖母に世話をしてもらわなくてはならなくなってしまいました。
省吾は気持ちがだんだん拗ねてしまい、まつ江にぶつかるようになったのです。ミツは、アイの様子に気づいて、まつ江から聞き出したのを聞き出しました。
まつ江はそっけなくどうせわかることだもの。アイのために話して聞かせたわぃ、
そして前の夫との経緯から悪口まで話したというのです。
ミツはまつ江の言葉を聞くと、めったに怒らない人だけれど、人が変わったように目の色を変えてまつ江を怒りました。
「つまらないことを聞かせたものだ。もっと大人になってからでも遅くはねだやつ。我、それでも母親の資格があるだか馬鹿なものだ。」
祖母ミツは泣きながらアイの顔を袖で隠すようにして抱きしめました。
 
そして月日が経つに従って合いもだんだん物事の判断ができるようになって、11月20日はえびすこうで朝から花火が上がって雪が舞う寒い日でした。当時のえびす講は夜昼と花火が上げられ、ちんどん屋が歩いていたのです。あたりは薄く、雪化粧をされていてとても寒い晩でした。夕食を済ませ、まつ江と省吾は敬一を連れて買い物をしながらちんどん屋の芝居を観ると言って出かけていきました。寂しそうにしているアイに、防空頭巾をかぶせて、ミツはアイを背負い、打ち上げ花火を見に外へ出ました。「ほれ、おんぶしろな。あれも、花火を見たからずばさ」この後悲劇が待っていようとは誰も知る由もなかったのです。ミツは、アイと心置きなく花火をみて鼻歌を歌い満足して帰りました。
そして玄関に入ると、ミツはびっくりして背負っていたアイを台所の上り口に放りつけたまま転がしたまま飛び込んでいきました。善治郎がこたつに横たわって助けを求めていたのです。
「おおい、おらへんなものになってしまったわや!」
善治郎は酒をたらふく飲んだ後、熱い風呂に入って脳卒中で倒れてしまったのです。その後、祖父は半身不随どころか、喋れないし、寝たきりの状態になってしまいました。頑固な善治郎は、効かなくなった手で看病するミツをよく叩きました。ミツは善治郎の管理をしながら、孫のアイや敬一の子守をしなくてはならないのです。善治郎がミツを怒るのは見て、アイは善治郎に口を聞いたのです。
「ばあちゃんかわいそうじゃねか、馬鹿じいちゃんやめろ馬鹿!」
善治郎はなおも怒って、アイに急須の水をかけて泣かせました。ミツはうなずきながら、アイの頭を撫で慰めていたのです。散々に好きな生き方をして、酒で財産を潰すようなことをして善治郎は、昭和28年8月の暑い盛りにこの世を去ってしまいました。ミツは善治郎が亡くなってほっとしたように毎日眠ってばかりいました。
アイはそんなミツを見て心配になって昔話をしてもらうことにしたのです。