アイの日記 〜宇宙とつながる脳性麻痺のおばあちゃん〜

宇宙とつながるスピリチュアルなアイちゃんの日記です

石崎アイ 〜 生い立ち 10 〜

五、ガラスの国境

 

アイは先生たちが用意してくれた着替えを持って入浴して入っていくと、浴室プールになっていてお風呂に入った後、プールで泳げるようになっていました。 浴室の担当になった保母さんは、2人ぐらいで水着を着て子供たちと一緒に入ってみんなの体を洗ってくれたり、 温浴プールで訓練の指導をしていました。 アイは自分も体が不自由なのに、いけないと思いながらも、ついみんなの体や動きを見てしまいました。 

それは生きているものの習いでしょうか?言葉や表情や相手の気持ちを決めてしまう。 しかし、人間には知識と判断力というものが生かされているのです。 お風呂で体が温まると、自然と気持ちまで和らいで、不思議と楽になっていきました。 アイはみんなとお風呂に入り、裸の付き合いから始まっていったのです。 そして、アイは早くみんなと仲良くなりたくて、自分からみんなの中に溶け込んでいきました。 お風呂に入って体を洗ってもらった後、アイは恐る恐る浮き輪をつけてプールへ入っていくと、みんな知らない子供たちだけれど、それぞれに声をかけてきてくれたのです。 

「アイさんこっち。 おいで、怖くないよ。 ねプールは初めて、ほらね怖くないでしょう 」

みんなは先生の指示に従って、アイの手を引いてくれて、プールで泳がせてくれました。 両足が大腿部から切断されて、足のない人もいました。 アイは思わず、足がないと思ってびっくりしてしまいました。でもその子は義足をつけながら、 なれなれしく自分のことを話して聞かせたのです。 それは小さいときに親の不注意でコタツでやけどを負ってしまったというのです。アイはかわいそうにと思ったけれど、自分と比べてみても、義足をつければ歩けることだし、 体そのものは普通なので、とてもうらやましいと思いました。 股関節脱臼で手術を受けた人たちにも同じように思いました。 そして、主にこれから手術をする人や手術をした人たちが多かったのです。 

 

脳性麻痺で全く動けない人や、様々な紹介を持った人たちがいて、何事も初めて見る現状なので、アイはただただ驚いていただけでした。今までは自分だけがなぜ体が不自由なのか自分だけがなぜ不幸なのかと心の奥で、 いつも思っていました。こうして見れば世の中には様々な人たちが一生懸命に生きようとしていました。アイは、みんなの姿を見てしみじみ励まされた思いで、自分自身に希望を持てたのです。 
しかし障害を持っていながらにして、みんなは非常に明るくて元気にしていました。果たして自分もああなれるのか、明るい自分になれるのかと心配でした。 そして、あるいは療護園での生活も無我夢中で1週間経ってしまいました。 今までは先輩たちがいろいろやってくれたけれど、 そういつまでも甘えてばかりいられないので、自分で布団をたたんで押し入れに入れるようにしました。 人から何かをやってもらうと必ず「ありがとう、ごめんね」が必要になっていました。 
アイは気を使って些細なことから人の言葉で「ごめんね」という癖がついてしまって、みんなに笑われていました。 みんなと一緒にお部屋のお掃除をやろうとしても、アイはバケツの水を持って歩けないので、ごめんねの言葉がどれほど必要だったか知れません。 アイは先生や先輩たちから悪いことをしてないのだからごめんねは言わなくていいと注意をされても、やっぱりごめんねは心の挨拶の一つになっていました。 指導員の先生たちや看護師さんたちが毎日1人ずつ交代で日勤か宿直と、 翌朝の8時半まで務めるようになっていました。 時間から始まって、時間で終わるこの繰り返しで、施設職員は大変だと思いました。朝の5時頃からまだみんなが眠っている中を、主食の先生が体温計を持ってお部屋の戸をそろそろと開けて入ってきました。 アイも最初は気を使っていたので、先生が回ってくると目が覚めていたけれど、だんだん慣れてきて先生もが入ってきても、目が開かなくなりました。 宿直の先生によって毎回違うけれど、冷たい体温計を脇の下に入れて勝手に測っていく先生もいれば、低い声で一声かけて測っていく先生もいました。 
 
「検温ですよ。 入れられるかな、冷たいけれど、ごめんなさいね、」みんな寝ぼけまなこで対応。 脈拍、体温と脈拍を測ってもらうけれど、みんなは眠っていて、目を開けようとはしません。 朝昼晩の1日3回の検温を毎日365日繰り返しやるのです。 宿直の先生はひと部屋住人ずつで50人の検温を1人も漏れなく済ませた後、 起床は6時半なので、宿直の先生はインター方でみんな起こします。「6時半ですよ。おはようございます。今日も元気におきましょう」みんな起きて洗面をして、 お掃除を済ませた後は7時から廊下へ整列してみんなでラジオ体操第1第2をやるのです。朝食が8時で、食事の合図の音楽に合わせて、皆食堂駅食事を済ませるのです。そして9時からそれぞれの訓練室へ行って、機能訓練や指先とか手を動かす、様々な訓練法に沿って訓練をやるのです。 愛は機能訓練といって、 言語訓練をやるようになっていました。 昼は昼食の合図の音楽で、食堂へ行って食事を済ませた後に病棟は畳のお部屋なので、みんなで座って看護婦さんと検温と脈拍を測ってもらうのです。 1日3回のことで、アイもだんだん検温の測り方体温の測り方と脈拍の測り方を覚えてしまいました。 3時には、金平糖を動物余市(ビスケット)が2・3個、おせんべい1枚、食堂に1人分ずつ、お菓子のお皿に盛られたおやつを楽しみにいただくようになっていました。 訓練時間は4時までなので、その後おなかがすいたり喉が渇いていても、水道でお水を飲むしかなかったのです。 指導員たちに見つかるところお腹を壊さないようにと注意をされるのです。 夕食は5時でまた夕食の合図で食堂へ行って食事を済ませてお部屋で検温をやります。そして当時は白黒テレビだったので、みんな食堂で白黒テレビを見たりしていました。 夜の7時には、夜のおやつに果物が出て、リンゴ4分の1とかバナナ みかんと、毎晩交互に宿直の先生が各お部屋に配ってくれるのです。 3食のご飯を食べたか残したか大小便の回数とかを宿直の先生に報告するのです。アイは毎日013、3色の残さなければ0、大小便1、小便3というようになっていました。それで1日が終わって消灯は9時でお部屋をなくして、皆静かに眠るのです。