アイの日記 〜宇宙とつながる脳性麻痺のおばあちゃん〜

宇宙とつながるスピリチュアルなアイちゃんの日記です

石崎アイ 〜 生い立ち 13 〜

「アイの奇跡」

 

しばらく経つと、暑い夏が来て、指導主任の田中先生が遠足の行事発表してくださいました。 遠足は霧ヶ峰高原で野外訓練としてキャンプ・ハイキングをやるということでした。そして貸切バス2台用意され、みんなバスに乗り、ガイドさんの案内で出発しました。

「療護園の皆様、今日は大変良いお天気に恵まれまして本当に良かったですね。 それでは、 皆様方とご一緒に、霧ヶ峰高原と車は出発してまいります」

ガイドさんの案内説明が終わると、はるか遠くに霧ヶ峰の緑の草原が見えてきました。 

そしてオレンジ色にされているニッコウキスゲの花が目に入ったのです。

「はあー綺麗だね」

「ほらそこにも咲いているよ」

「気持ちがいいね」

「うん。風が冷たいよ」

みんな大喜びでバスの窓を開けて、清々しい空気を吸いながら、緑の草原を走りました。 オレンジ色のニッコウキスゲに見とれているうちにバスは到着してしまいました。 バスから降りると、普段角ばっている。 職員たちも無邪気な子供のように一緒になって草むらに転げ回り豊かな自然に戯れながら、子犬のようにそれは楽しそうな姿でした。 

お昼を食べると、ハイキングのグループとキャンプのグループに分けられました。 そして歩ける人たちは、男の職員に従ってキャンプ場へ移動することになって、アイはあまり歩けないのにキャンプのグループに入っていたのです。 キャンプ場は大きなテントが張られていて、泊まれるようにできていました。 そして各班ごとに飯ゴーを米、カレーの材料などが責任者に配られて、 アイは先生や友達に手を引いてもらい、みんなと一緒に山の湧き水場へ行って、お米や野菜などを洗っていたけれど、山の水は冷たくて指がちぎれてしまうほどでした。 

「おおい、早くやらないとカレーライス食べられないぞう!」

男の先生方は男の子たちとキャンプファイヤーをやる準備で追われて、焚き木を集めていました。 女の先生たちも子供たちと一緒に 大きな鍋にカレーの具を入れて煮込んでいたのです。さて、飯ゴーのご飯が炊き上がって、 カレーライスをお皿に盛ってみんなで食べようとしていたときです。 急に霧が巻いてきて、当たりが見えなくなり、雷が鳴り始めたのです。 

「おおい!みんな班ごとにテントの中に入れ!」
男の先生の号令がかかりました雨がポツポツして、 来て、みんな慌てて荷物を運び込みました。アイも何かしなくてはと思い、とっさにカレーが入った大きな鍋に無意識のまま手が入ってしまい、持ち上げると、鍋を使わずにして5mほど運んでしまったのです。 何が起きたのかわからないけれど、体が宙に浮いたように軽くなって何かに支えられたように、自然と足が抜けてしまい、自分でも不思議だと思っただけでした。 
一瞬のできることだったけれど、アイは神様が力を与えてくださったと嬉しく思ったのです。 アイは今までにも危険なことにぶつかると不思議な不思議と助かったり普通では考えられないことでも、やり遂げてみせる何か不思議なものを授かっていました。
「先生カレーのお鍋持ってきました」
「はい、はい、どうもありがとう? あなたこんな重たいものをどうやって持ってきたの?」
 
大人がやっと持ち上げる鍋をあまり歩けない、アイが運んだことで考えられないことをやってしまったと先生方も仲間の人たちも驚いていました。 そして無事テントの中へ全部運び込むことができて一安心でした。 しかし、アイの不思議な出来事は、ただ火事場の馬鹿力としか言いようがなかったのです。 さて、夕立はやんだけれど、雨が降った後、それぞれのテントの中から懐中電灯の明かりが漏れて、みんな和気あいあいの夕食でカレーライスが美味しく食べられました。
「大雨やんだらしいぞ。 星が出てるぞ、気持ちがいいな、キャンプファイヤーできそうだな!」
外で男の先生たちが話し合っていました。ガヤガヤガヤガヤみんな外へ出てきて賑やかになりました。先生方の指示により、キャンプファイヤーに火が入れられると、燃え上がる炎を囲んで、 踊ったり、花火を上げたりして、生涯思い出に残る、とっても楽しいキャンプができました。 そして、療護園に帰ってみんなお風呂に入りながら真っ赤に日に焼けたアイの顔を見て、天狗の鼻のようだとみんなが笑いました。そしてキャンプの思い出話に話が尽きませんでした。 
アイは自分でできないと思ったことでもできてしまう。学芸会のときも今回のキャンプのこともみんなに助けられながらも、一緒に行動したことは大変な努力だと思います。 アイは人間として、何事もやり遂げる大切さと、ど根性のすごさを意識していたのです。 

 

挑戦心は誰よりも強く、夢と希望は誰よりも大きい、経験こそ宝だと思っていました。 アイの小さなときからの苦労が伊達ではなく人間としての心の基礎ができていたからです。
 
さて、いよいよ秋は有名人の歴史を学ぶことになっていて、 長野市柏原の出身で、 俳句で有名な小林一茶の歴史を訪ねて、一茶の生き方から様々な作品などを見学してきました。
「我ときて 遊べや 親のない雀」「故郷は 西も東も バラの花」を覚えてきました。 
そして映画鑑賞は障害にも負けず懸命に頑張った有名な人たちの物語でした。 シューベルトの未完成交響楽と、奇跡の人ヘレンケラーの物語だったのです。当時の映画は白黒で、それに英語でしたから、場面の端に言葉が書かれているけれど、読むまもなく変わってしまうので、映画の場面を見るだけで精いっぱいだったけれど、 アイは英語がわからないけれど動作や表情で十分内容がわかりました。 シューベルトベートーヴェンは作曲家で、途中から耳などが不自由になった人たちで、ヘレンケラーは盲目でありながらも医師、懸命に頑張って人々に勇気を与えた人でした。 
どれも素晴らしい映画でした。印象に残されたと言えばヘレンケラーの映画でした。ヘレンケラーはかわいい少女なのに、まるでい、野生の動物のような、 動作で凄まじい姿でした。そしてヘレンケラーを良くしようと必死で教育する女性家庭教師のサリバン先生の姿も、ヘレンケラーに負けないぐらい凄まじいもので、みんな圧倒されたまま見ていました。 盲目の障害にヘレンケラーもサリバン先生も共に悪戦苦闘の日々が続いたのですサリバン先生の熱意と真心がヘレンケラーに通じて、サリバン先生に水をかけられて濡れながらも、「ウォー、ウォー、ウォーター」と叫んだのです。 サリバン先生はびしょびしょに濡れたヘレンケラーを抱きしめて、ヘレンケラーと共に喜び合っている場面でした。 アイは唖然として見ていたけれど、 精いっぱいの姿に感動を受けていたのです。 人間誰でも目が見えない、耳も聞こえない言葉も喋れないとなれば最悪なことでしょう。 だから決して諦めてはならない諦めの心は、生命が救われない奇跡も起こらないと思います。 
 
欲望に心を奪われずに、意欲に心を生かすならば、自然がけしてみせないと思います。 心と心の愛の姿勢が自然の力を呼び起こし現実にさせてくれることかもしれません。 アイが生かされていること自体、奇跡の証明です。たくましい勇気と優しい心、明るい心とかわいい心にアイは生かされてると思う。これからますます楽しみです。 月日が経って施設生活に慣れたといっても、児童福祉施設なので18歳未満の子供たちが体の 機能訓練として手足を治すところで、期限が来ると、 事前に出ることになっていました。当時の福祉施設といっても、世の中が厳しい状況で、国や県もまだまだ余裕がなくて、県の施設は身体障害者児童福祉施設身体障害者職業訓練指導所しかなかったのです。 そして障害の軽い人たちは、社会復帰するために1年間職業技術を身に付けなければ身につけられたのです。 今のように重度身体障害者授産施設がないので、せっかく夢を描いて頑張ってみても、最終的にはまた家に戻される羽目になってしまいます。 車椅子で脳性麻痺の男の子は18歳になって、療護園を出されてもまた家に戻るしかない。 家の留守番をしながら、鳥を飼うことしかないと切実に訴えていました。 アイはそのことを聞いていて他人ごとではない自分も同じ立場だと思いました。 自分もあと2年余りで18歳になるけれど、療護園を出されても行くところがないのですけれど、アイがまた家に戻される羽目になって、家族に面倒見てもらうことになったら、あまりにも残酷すぎると思います。 しかし今のように社会情勢があまり豊かではなく、福祉制度も限られていたので、 どうしても脳性麻痺の重度障害者は、 家庭の隅に置かれるか、留守番だけで一生を終えるかでした。当時重度身体障害者が社会に出ることは世間に認められない、当然無理なことでした。 世間の目障りだと邪魔者扱いされたり、馬鹿馬鹿といって馬鹿にされて差別されていた時代で、時代が変わっても人間の考えが変わらないことは非常に悲しいことだと思います。 そして両親の家族、両親や家族は、アイが施設に入ったことで十分安心しているかもしれないがそれはとんでもないことで、アイは将来のことが心配で考えずにはいられませんでした。しかし重度身体障害者授産施設やコロニーができることはまだまだ程遠い夢のことでした。