石崎アイ 〜 限りある人生だから、苦難を切り開く 1 〜
私は五十年以上、いつか歩けるという夢を、ずうっと見続けてきました。
それは運命の悪戯で不可能なことであったとしても諦めずに、そして両親や家族からの愛に支えられて、社会の人たちからも支えられて育ってきました。
動かない身体でも「よし、やるぞ」の思いでつぶやくと、口からでる言葉に勇気が出て励みが出て、希望も夢も不思議とふくらみました。そして自然と、ありがとうの言葉がこぼれるようになって、「こぼれて、こぼれて」こぼれ続けて癖になりました。
それがいつしか真心で言える「ありがとう」になりました。
私は、毎日「ありがとう」の言葉は、絶対に欠かすこともなく自然と出てきます。笑顔は自分の心にも、相手の心にも「愛の栄養」を与えられると思います。
「水や、空気や太陽の恵みに」そして全てのものにありがとうの感謝の気持ちです。
朝、目を覚まし「あぁ、生きて良かった」と日々思っています。
しかし、そんな綺麗事ばかりではなく、二十代のころ施設職員から面白半分に嫌みを言われたり、出来ないことを無理矢理押しつけられたり「いじめ」のようなことを受けて、自分の運命に負けて何もかも嫌になり、首を絞め死のうとしたこともありました。
あいにく同僚に見つかって上司のところに連れて行かれ、怒られて説教されました。
「今、おまえが何をしたか解っているのか、愚か者め!どれほど周りの人に心配かけているか、一番心配してくれているのは、おまえを育てた家族なんだぞ!おまえの人生は、これからじゃないか、父ちゃん母ちゃんを悲しませるな!お前には手があるじゃないか、口も聞けるじゃないか、目も見える、耳も聞こえる、足もあるじゃないか、何が不満なんだ」世の中には、目が見えなくても、手足がなくても立派に生きている人たちが大勢いるぞ。お前の周りにだって、足が曲がっていても松葉杖でしっかり歩いているだろう。人間は努力なんだ、おまえも人間だろう!頑張れ!頑張るんだ!自分にあるモノでいいんだ、生かせばいいんだ、自分の価値を出せばいいんだ。人に迷惑をかけたり心配かけたりするな最低の人間だぞ!」
怒られて、説教されて何も言えない自分が、非常に悔しかった、恥ずかしかった。それから勇気を出し、何事にも負けない、くじけない辛抱強く力をつける努力をしました。いろいろなことにぶつかり、二度も自殺行為をした自分だけれども、やっと生きることの大切さに目覚めました。それからは絶対に、死のうという考えがなくなり、人生を変えるには、自分自身であると、周りの人たちに心配かけながらも頑張ってきたお陰かなと、今は感謝の思いです。
石崎アイ 〜 自己紹介 〜
今私は、両親からもらった大切な命と身体ですが、五十年以上経つと力も弱まり背骨が曲がり、全身身体の痛みに耐えられなくなって、介護が必要となってしまいました。
毎日、1日五回交替でヘルパーさんに来てもらって、朝五時半にベッドから起こしてもらい、1日の始まりとなります。
そして自分の身体がこれ以上悪くならないためにも、常に元気になろうという信念をもって「自分の可能性を信じて」もちろん健康には気を使い、いつも新しい目標に向かって挑戦していこうという思いが何処まで実現できるか楽しみです。
一日一日を楽しく、そして努力の積み重ねの自分の人生に、心から「ありがとう」と言えたら、どんなに素晴らしいことかなと、夢に見て楽しみに生きています。
両親や家族の愛に、助けられた大切な生命を自分で、しっかりと守っていきたいと思います。周りの人たちの愛に支えられて、水や、空気や、太陽の恵みのお陰で生かされています。
※この文章は、アイさんが不自由な身体で平成三年からワープロで全文入力したものです。本人の意思を尊重し、制作にあたってほぼ原文のままにしています。
平成15年9月28日
石崎アイ 〜 生い立ち 15 〜
冬の後には必ず春が来ることを信じて
アイは家がまずしかったので、厳しい生活で、父親は短期でつらいことばかりでした。そんなとき、母親はいつも信じる言葉、冬の今年冬は必ず春となると言って口ずさみながら自分自身を励まし、アイをも励ましていたのです。そしてアイは自分の夢と希望を言葉に表すと大人って勝手なもので、今度は母親から「槌より柄の太いことばかり言うな!」と怒鳴られ、体が効かないくせに大きいことを言うなということでした。人間は幸せで楽しいことばかりではない。
つらく悲しいことばかりでもない。自然も人間も生かされている限り、苦楽が備わっているから、考え方の相違ですごい人生を築けるかもしれない、アイはいつも何か変化のある日々を作り出す面白い性格でした。そして楽しく考えて良いことをたくさん数えながら自信を持って積極的に行動していたためか、夢を描いて不思議と希望通りに実現していることで、アイは今が初春だと思っていました。さて、療育園にすっかり慣れてみんなに好かれて楽しく助け合っていたのです。そしてお手伝いが好きなアイは、ちょっとしたことでも積極的に進んでやっていたため、職員たちからも頼りにされて、特に御洗濯場のおばさんたちにかわいがってもらいました。
養護学校の桜井先生はそんなアイの姿を見ていて声をかけてくれたのです。桜井先生は中年女性で見かけは少し怖そうでしたが、とても素晴らしい先生でした。アイが社会復帰を目指していることを聞いて特別に勉強を教えてくれることになったのです。国語算数ローマ字の他に家庭科からミシンの使い方まで教えてくれたのです。
桜井先生は、アイちゃんというかわいい娘さんがいて、いつも娘さんの話をしながらアイと同じ名前だと言っていろいろな面から真剣に教えてくださいました。
石崎アイ 〜 生い立ち 14 〜
7 夢の道しるべ
療護園の並びに長野県諏訪養護学校という立派な教育施設が建てられていました。 設備よくできていて、廊下続きに教室まで車椅子で入っていかれるようになっていました。 アイはあと1年余りで18歳になるけれど、たとえ短い期間でも療護園にいるうちに 小学校で勉強を教わって、義務教育まで受けられたらと思っていました。 そして社会復帰を目指し、 夢と希望を大きく膨らませていたため、漢字や数字計算を覚えておきたくて、 指導員にお願いして、養護学校の教育施設の方へ 申し出たのです。 ところが年齢が行き過ぎているということで、「駄目だ」とあっさり断られしまいました。無残にもアイの 夢と希望は虚しい紙くず のようになってしまったのです。 しかし、 辛抱強いアイは、そのまま諦めようとはせずに、少ない時間でもたくさんの勉強を学びたいと一生懸命だったのです。 わかっていても、今度は担当指導員に、せめて必要なだけの勉強を教えて欲しいと願い出たのです。またアイの意欲に驚いていたのか困ったのか?指導員たちは顔を見合わせ、首をかしげてただペンを握りしめるだけでした。
それから、 数ヶ月後、アイの念願が叶ったのか、学校へ行かれなかった人たちを数人ほど集められ食堂の一部を教室にして、特別学級を設けてくれたのです。 幸いにも、担当指導員が保母さんだけれど、教師の資格があって、 養護学校で使われた教科書を借りて、小学校一年生から4年生までの勉強を教えてくれることになったのです。 勉強は一日おきでしたけれど、国語、算数と 漢字の調べ方から読み方、九九の覚え方、掛け算の計算を一通りのことを教わり、 社会はNHK教育テレビを見ながら、教科書と合わせて教えてもらいました。
石崎アイ 〜 生い立ち 13 〜
「アイの奇跡」
しばらく経つと、暑い夏が来て、指導主任の田中先生が遠足の行事発表してくださいました。 遠足は霧ヶ峰高原で野外訓練としてキャンプ・ハイキングをやるということでした。そして貸切バス2台用意され、みんなバスに乗り、ガイドさんの案内で出発しました。
「療護園の皆様、今日は大変良いお天気に恵まれまして本当に良かったですね。 それでは、 皆様方とご一緒に、霧ヶ峰高原と車は出発してまいります」
ガイドさんの案内説明が終わると、はるか遠くに霧ヶ峰の緑の草原が見えてきました。
そしてオレンジ色にされているニッコウキスゲの花が目に入ったのです。
「はあー綺麗だね」
「ほらそこにも咲いているよ」
「気持ちがいいね」
「うん。風が冷たいよ」
みんな大喜びでバスの窓を開けて、清々しい空気を吸いながら、緑の草原を走りました。 オレンジ色のニッコウキスゲに見とれているうちにバスは到着してしまいました。 バスから降りると、普段角ばっている。 職員たちも無邪気な子供のように一緒になって草むらに転げ回り豊かな自然に戯れながら、子犬のようにそれは楽しそうな姿でした。
お昼を食べると、ハイキングのグループとキャンプのグループに分けられました。 そして歩ける人たちは、男の職員に従ってキャンプ場へ移動することになって、アイはあまり歩けないのにキャンプのグループに入っていたのです。 キャンプ場は大きなテントが張られていて、泊まれるようにできていました。 そして各班ごとに飯ゴーを米、カレーの材料などが責任者に配られて、 アイは先生や友達に手を引いてもらい、みんなと一緒に山の湧き水場へ行って、お米や野菜などを洗っていたけれど、山の水は冷たくて指がちぎれてしまうほどでした。
「おおい、早くやらないとカレーライス食べられないぞう!」
男の先生方は男の子たちとキャンプファイヤーをやる準備で追われて、焚き木を集めていました。 女の先生たちも子供たちと一緒に 大きな鍋にカレーの具を入れて煮込んでいたのです。さて、飯ゴーのご飯が炊き上がって、 カレーライスをお皿に盛ってみんなで食べようとしていたときです。 急に霧が巻いてきて、当たりが見えなくなり、雷が鳴り始めたのです。
石崎アイ 〜 生い立ち 12 〜
6、「奇跡は心の奥に眠ってる」
信濃整肢療護園では、季節にちなんだいろいろな年間行事が行われていました。 春の学芸会から始まって、お花見、諏訪湖一周巡りと、夏はキャンプ、ハイキング、そして、 紅葉の綺麗な秋は映画鑑賞などでいろいろと楽しい催しがたくさんありました。 春の学芸会が近づくと、1ヶ月前から劇の練習が始まって、みんなそれぞれ練習に張り切ってやっていました。しかし、アイは劇をやることが嫌いになっていたので、 劇の練習と聞くとなぜか重石を乗せられたように気が重くなってしまうのです。
それは毎日の機能訓練で、大きな鏡の前で歩く練習をしているけれど、鏡に映る自分の姿を見るたびに、まるで壊れかかったロボット人形のようで非常に嫌な気持ちでいました。 脳性まひ独特の症状で、自分の意思と全く違った動きになってしまうのです。 運動神経のアンバランスによってなる表情で仕方がないことかもしれない。しかし、アイにしてみれば、自分の不格好な姿をわざわざ人前に見せつけなければならないかと思うと、 どんなに切ない気持ちで悔しい気持ちでいたか、それは誰にもわからないことでした。 そして、周りの看護婦さんとか、綺麗な女性職員たちを見ていると、アイも年頃の女の子として、つい自分も素敵な女の子の姿に夢を見てしまうのです。 アイはだんだん自分が惨めになってしまい、みにくいアヒルの子、よく絵本で見たけれど、そんなことを思い出して泣いていました。 けれど、みにくいアヒルの子は白鳥の子供であって、やがて大きくなると立派な白鳥に成長して飛び立っていったことも知っていたのです。
みにくいアヒルの子のアイの心境は誰にもわかってもらえないし、それが許されるわけではありませんでした。 学芸会である劇の題名は、「森の小人たちとゆかいな仲間たち」に決められていたのです。
石崎アイ 〜 生い立ち 11 〜
嬉しいお手伝い
アイは朝食を済ませて、みんなと一緒にお部屋に戻ろうとしましたけれどおせっかい焼きの性格は、見て見ないふりができなかったので、 手洗い場の水が出しっぱなしになっていたことが気になって、途中で水を止めに戻ったのです。 水道の水を止めようとしたはずなのに、それがアイの運命を変える羽目になったのです。 そばに大きなバケツが置いてあって、中に台拭きが30枚ほど入っていたので、綺麗にすすいでバケツのふちにかけておきました。
すると先生たちがびっくりして、アイの手を取って非常に喜んでくれたのです。 指導主任の田中先生は、あの観音様のような口調で非常に気に入ってくれました。
「あらありがとう!アイさんお手伝いしてくれてるの!あなたのおかげでとっても助かるわよ。 朝は忙しいからね本当にありがとう!」
アイは自分がやりたくてやったことなのに、こんなに喜んでもらえるとは思っていませんでした。 アイはいつも何か人のためにできることをしたいと思っていました。
アイの夢は、誰も気がつかないでいることを自分が気がついてやることが人生の大きな財産になると思っていました。 アイはとても嬉しくて、自分は良いことをしていて良かったと思い、今はつらいことも。 つらいことかもしれないけれど、今に必ず良いことがあると信じていました。 家が貧しかったアイは、あまり着るものを 買ってもらうことができませんでした。ズボンに継ぎの当ててあるものを着ているのは、アイぐらいで誰も他にいませんでした。 年頃のアイはとても恥ずかしいと思っていたけれど、仕方がないのでなるべく次の小さいものを選んできていたのです。 お洗濯場へ行ってみても、継ぎのある赤いコールテンのズボンで、足首にゴムの入っているものは、アイのものだとすぐにわかりました。みんなのように綺麗な洋服が着れたらどんなに嬉しいか。 非常にみんなのことが羨ましく思ったりしていました。 そして、施設はほとんど見学者が多くて団体の視察者が来ると、入園者は動きが取れなくなってしまいます。
指導員の先生たちの指示に従って訓練の演技をするのです。 まるで動物園のサルがチンパンジーのような感じになってしまいました。
「糞!なんでこんなことをしなきゃいけないんだ、見世物じゃねぞ!」
と、アイは鶏冠に来てしまい、非常に不愉快な思いをしていました。 みんな、 夜みんなから話を聞いて、施設というところはこういうものだということを知らされました。
療護園の生活にもすっかり慣れたアイは、 朝夕のお手伝いが日課になってしまいました。ある時、アイは職員室に呼ばれて、たくさんの洋服をもらったのです。 先生たちはアイの心境をわかってくれていたのか、よくお手伝いをやることからのことでした。
「あなたは自分の意思でお手伝いをやってくれていたのね。あなたのおかげで先生たちをとっても助かっているのよ。アイさんあなたは毎日お手伝いをしてくれるのでね、これはお古だけれどもしよかったらと思ってね、お洗濯の洗い替えに来てちょうだい。」