アイの日記 〜宇宙とつながる脳性麻痺のおばあちゃん〜

宇宙とつながるスピリチュアルなアイちゃんの日記です

石崎アイ 〜 生い立ち 3 〜

二、『涙のあかし』

 

祖母ミツは、手塩にかけて育てたアイが日に日に大きくなってくれてとても嬉しいけれども、アイの将来を考えると、やはり心配で悩みの種でした。

孫はかわいいとされたが、祖母ミツは特にアイの場合、不憫だということで非常に思いが強かったのです。

まつ江夫婦も、アイが5歳になってしばらく病院へ連れて行って診てもらうことにしたのです。

8月の夏の暑い盛りにまつ江はアイを背負い、父省吾と一緒に汗をかきかきいくつかの病院を訪ねて歩きました。

医者に診てもらった結果、アイの病名は『先天性脳性小児麻痺』と診断されたのです。

当時の人々は、知識も浅く、医者にかかれば全てが治ると信じていたのです。

治る病気が治らない病気か、まつ江は真剣にアイのことを医者に聞きました。医者はしばらく首をかしげて黙っていたけれど、治るとは言いませんでした。両親はもちろん家族は(特に祖父母は)ショックを受けて、途方に暮れてしまいました。

そしてまつ江は気性の荒い省吾についていけない面があって、アイを道連れに川へ身を投げて死のうとしたけれど、思い直しました。そんな日々もだんだん薄らいで、みんなの心に明るさが出てきました。

アイが少しずつたどたどしい言葉ではあるけれど、喋れるようになって、自分で体を横に転がりながらも動けるようになりました。

そして弟の敬一も大きくなって、アイは兄弟で仲良く遊べるようになって、幼い子供の姿は無邪気でいじらしく微笑ましい光景です。

家族の顔にも笑いが浮かび、自然と笑い声が出せるように変わっていたのです。

祖父善治郎はこたつでチビリチビリ、お酒をやりながら、アイと敬一を呼びました。

「おおぃ!2人ともこっちへ来いよ。うんまやるぞぅ、うめぇかぁ!」

切りイカの油炒め、ひじきなど、酒のつまみを2人の口に入れてくれたのです。じいちゃん、うんま!うんま、美味しいちょうだいもっともっと」

アイは美味しかったので、指を口に入れて切りなくねだったのです。善治郎は孫のアイと敬一がとても可愛くて、目に入れても痛くないほどでした。

そんな光景を聞きつけた祖母ミツは「まぁ、よしなんし!子供に何か!ほらこっちへ来い。まぁず爺様酔っ払っているから駄目だにぃ」

ミツはブツブツ文句を言いながら、アイと敬一の口に小さな飴玉を入れてくれました。貧しい時代でそれがアイたちの唯一の楽しみだったのです。

そして寒い冬になると、アイの手足が日々やしもやけになるので、手足をさすり、まつ江とミツは、真綿で脚絆とテッコのように作ってくれました。

アイの手足は氷のように冷えてしまうので、温かく包んでくれたのです。省吾も見ていて、アイに赤い足袋を買ってくれる約束をしてくれたのです。アイは嬉しくて、父親の都合も構わず2度の催促をしたのです。

「とうちゃん、赤い足袋、いつ買ってくれる?」

「まぁ待て!」

父省吾は短気で乱暴だけれど、子煩悩なところがあって優しい性格なのです。

そして機嫌のいいときは思う存分アイをかわいがってくれました。アイはなかなか赤い足袋を買ってもらえないので悲しくなって母親と風呂に入りながら父親が約束していたのに足袋を買ってくれないのはなぜだと聞いたのです。

すると、まつ江は虫の居所が悪かったのか、このときとばかりにアイを睨みつけて八つ当たりのように言い聞かされたのです。

「いいかぁ、よく聞け!父ちゃんはな、今の父ちゃんはおめえの本当の父ちゃんじゃねんだぞ、わがまま言うじゃねだ。かあちゃんはお前のためにどれだけ苦労してるかわからねだろう」

まつ江は惜しげなく、前の夫の悪口からつらかった苦労話を、次々に並べ出したのです。

 
 

石崎アイ 〜 生い立ち 2 〜

「自然のいじわる」

まつ江は、三人姉妹の末っ子で、長女次女の姉達が家を出てしまったので老夫婦善次郎とミツは、まつ江に家を継がせたいと決めていたのです。まつ江の言い分も聞かず、老夫婦は自分達で一方的に縁談を決めてしまったのです。気に入らない相手だろうが、悪い夢を見たと思って結婚をして家を継いでくれと両親から頭を下けられてしまったら従うしかなかったのです。そしてまつ江の心には何時も「自分は、親のために犠牲になった」という想いがあって、心はいつも暗く気持ちが優れない日々だったのです。夫は自分の可愛い子供なのに、アイが生まれたから一度も抱いてくれようとはしない、父親としての役目を果たしてくれなかったのです。そしてまつ江は、よくよく愛想を尽かし我慢のすえ、離婚に踏み切ったのです。お互いの意識や考え方が全く違うこと。価値観が違うことが大きな原因でした。まつ江はしばらくの間周りの人たちから再考もすすめられたけれど、アイのことを考えるとなかなか再婚をする決心はできませんでした。しかし農家をやっていくには、いろいろな面で牛や馬を扱って、「田うち」をやることは、女では到底無理なことで、どうしても男手が必要となっていました。アイもだんだん大きくなり、まつ江は自分の身の振り方を考えたのです。そして、「やむを得ず」みんなの意見に従って再婚をすることにしました。今度はまつ江のいとこにあたる省吾が婿養子に入ってくれたのです。まつ江は省吾と結婚して、アイにまた2度目の新しい父親ができたのです。アイの幸せがあると良いのですが、月日が経って、アイも3歳になろうとしていました。アイは自然から生きる使命を与えられて、目立つ身体まで与えてくれたのです。

「おおいアイ、ちょっとおかしいじゃねか!」「おかしいって?」

家族が抱き上げたとき、3歳になったアイの身体は、赤ん坊のように、クニャクニャでした。自分で動かそうとしないし、言葉も喋らないし、家族も周りも慌てだしました。家族はアイの命が助かったことで、体の変化に誰も気がつきませんでした。

みんながアイの体に気がついたのが遅かったのかもしれません。自然からたくましい生命と清らかな心を約束されて生まれたのかも知れませんでした。しかし、アイはお水を飲みたいときも「ブー」、おしっこしたいときも「ブーブー」としか言えなかったのです。幸い、アイは知能は遅れていないので、周りの人の言葉がよくわかって聞き入れていたため、家族が世話をするにはとても楽でした。周りの人たちが心配してかわいい愛のために一度病院へ連れて行って医者を見てもらったらどうかと常々言われていました。けれどそう言ってる間にアイに弟ができたのです。

昭和26年、3月に男の子が生まれたことで、家族みんな大喜びです。アイは急に母親から離されて、あまりの寂しさで泣くばかり。熱を出して泣き、鼻血を出しては泣き、とにかく泣くことしかできませんでした。アイは気持ちが優れなくて、祖母の背中で泣いていると、父省吾が寄ってきて、うるさがって怒ったり、アイを叩くのです。「うるせえな、なぜ泣くだだあ」「シャラうるせえ」そんな光景を黙って見ていられない祖父善治郎は、アイがかわいそうで胸の詰まる思いだったので、省吾を怒りました。そんなちいせえ者を殴ってどうするだ。殴りたきゃ俺を殴れ。アイは夫婦げんかを見せられることが怖くて、なにぃ!とにらまれる父親が怖くて、「ばあちゃん怖いーー」とブルブル震えながら祖母にしがみついていました。とにかく家族はそれぞれに個性が強く、何事も石橋叩いても十分渡れない人たちでした。祖父善治郎は大酒飲みで田畑を売ってまで酒を飲まずにはいられなかったのです。2度目、婿養子に入った省吾も、これまた短気で一徹の性格だったので、物事が曲がったことの大嫌いな気性でした。まつ江は気が強く勝ち気の性格で、いつも「自分は犠牲になった」という思いが、常に心の中にあって、省吾と口喧嘩の絶え間がなかったのです。省吾は自分の思いやりが勝ち気のまつ江に受け止められず、気持ちがだんだん怒りになって暴力や乱暴的な言葉になってしまったのです。

「こんちくしょうめー、てめえみてえなものの叩き殺してやるぞ!」

松江も黙っていれば良いものを、つい口をきいて口を聞くたびに、夫婦げんかになって喧嘩の絶え間がなかったのです。省吾に口をきいて夫婦げんかが始まり、省吾がカマを投げつけたり、斧を振り上げそれは凄まじいもので、村中の名物夫婦になっていました。アイは、心の奥に父親の存在が恐ろしいとしか残されていませんでした。とにかく家族の心は、いつも線香花火のように火花を散らしているようでした。

石崎アイ 〜 生い立ち 1 〜

ひとつぶの露

 

一、

『見えない戦い』

 

山々に囲まれた静かな村の人々は、貧しく何の変哲もない暮らしをしていました。昭和23年1月1日ちょうど初日の出がのぽる頃、女の子が生まれたのです。

「めでたい時に、めでたい事が重なるものだなぁ!」

「めでたい、めでたい!」

老夫婦は、お正月早々女の子が生まれて初孫ができたと大喜び、おせち料理を食べながらお屠蘇(おとそ)を酌(く)み交わし、新しい年を祝っていました。けれどその喜びも束の間、女の子は未熟児だったのです。お産婆さんの手のなかで、産声(うぶごえ)もあげられず動いているだけでした。貧しい時代で、当時,冬の時期は火鉢(ひばち)やコタツで、現代のように暖房の設備もなくコタツで母親のそばに、そっと寝かされていました。そして女の子は、アイと名付けられました。

 

アイは生まれたけれど二日たっても三日たっても泣き出す気配がないので家族は心配になってきました。アイに顔を近づけて息をしているかどうか落ち着いて居られませんでした。お乳を飲ませようとしたけれども全く飲む気配もなく、母まつ江も初めてのことで、こんな状態になろうとは誰も知るよしもなくどうして良いのか途方に暮れていました。祖母ミツは、せっかく授かった生命だから何とかしてやろうと一生懸命でした。脱脂綿に湯冷ましを含ませてアイの小さな唇を濡らし続けました。まつ江を励ましながら、スース眠るアイを生かしたいと諦(あきら)めてなるものかとミツは、まつ江を励ましながら望みを持ち続けたのです。

しかし三日たっても、四日たっても、泣き出す気配はありませんでした。そんな状態が続き皆んな、ほとほと疲れてしまいました。一週間になろうとしたとき、皆んな「だめかな」と半分諦めかけたのです。家族は気持ちを戻し、まつ江とアイを見守り天に任せて祈るしかありませんでした。アイがお乳を飲まないのでパンパンに張ってしまい、悲しくて泣きながら、しぼって捨てていました。男衆は家の周りで仕事始めとして、俵(たわら)作りや、藁細工の仕事を始めました。まつ江は、疲れて深い眠りに入っていました。今まで張りつめていた家族の気持ちに、自然が余裕を与えてくれたかも知れません。皆んなが仕事につきやり出した頃、何ぜか赤ん坊の声が聞こえてきた、それは何とアイの元気な泣き声でした。

皆んなは、「まさか」と自分たちの耳を確かめ合ったのです。「おい、聞こえるか?」「はあ、聞こえやすなぁ!」「泣いたぞぅ!」「泣き出したぞぅ、アイが泣き出したぞ!」「やーやあ、良かったあ、良かったぁ!」皆んな仕事の手を止めて、アイのそばにかけよって行き、驚いたり喜んだりでもう大変な騒(さわ)ぎでした。まつ江は、びっくりして目を覚まし茫然としていました。「だめ」かと諦めたのに家族の強い愛の心が天に通じたのでしょう。アイは生まれて一週間目で産(うぶ)声をあげ、暫く泣きやまなかったのです。しかし、まつ江がお乳を飲ませようとしたけれど吸う力がなくて、ただ泣くだけでした。母乳も飲めない、哺乳びんでも飲めないとなれば、どうしようもありません。まつ江も泣きながら家族にすがっても、どうして良いのか途方に暮れてしまいました。そして祖母ミツは、何か思いついたように台所から、小さな「さじ」と「お皿」にミルクを入れて、アイの小さな口にミルクを飲ませたのです。すると、だんだん泣き声が静まってきました。ミツは、アイにミルクを飲ます方法はこれしかないと考えたのでしょう。さすが人生の先輩、いろいろ経験積みからの知恵なのか、生活の知恵なのか、それからは根気よく祖母ミツとまつ江は、アイにミルクを飲ませることが仕事になりました。愛は生命の源、自然から生きる使命を与えられたアイは、小さな身体で一生懸命生きようとしている、皆んなの愛に包まれて可愛い小さな光のひとつぶの露が輝き始めていたのです。アイが元気に生き返った事で、皆んなホーツと安心したのでした。

そしてて村のしきたりで、子供が生まれて一週間たつと「御七夜」のお祝いをやるのです。近所の人達を呼んで赤ん坊をひろうする事になり、近所の人達はそれぞれにアイをひとめ見たいと次々に集まって来ました。まつ江が、奥座敷からアイを抱いて出てくると、あまりの小ささに最初は、びっくりしたようでしたが、つぎつぎに御くるみに顔をのぞかせて話しかけたのでした。「アイちゃんかーぃ?」「まーあ、いい名前だにい!」「よく頑張ったになぁ!」まつ江とミツは、アイが生まれてから一週間の出来事といきさつを涙ながらに語らずには居られませんでした。皆んなもうなずいて一緒に涙をふきながら話を聞いてくれました。まつ江とミツに、しっかり頑張るようにとカづよく励ましてくれたのです。こうしてアイは、家族や周りの人達に見守られて、すくすく育っていきました。