石崎アイ 〜 生い立ち 1 〜
ひとつぶの露
一、
『見えない戦い』
山々に囲まれた静かな村の人々は、貧しく何の変哲もない暮らしをしていました。昭和23年1月1日ちょうど初日の出がのぽる頃、女の子が生まれたのです。
「めでたい時に、めでたい事が重なるものだなぁ!」
「めでたい、めでたい!」
老夫婦は、お正月早々女の子が生まれて初孫ができたと大喜び、おせち料理を食べながらお屠蘇(おとそ)を酌(く)み交わし、新しい年を祝っていました。けれどその喜びも束の間、女の子は未熟児だったのです。お産婆さんの手のなかで、産声(うぶごえ)もあげられず動いているだけでした。貧しい時代で、当時,冬の時期は火鉢(ひばち)やコタツで、現代のように暖房の設備もなくコタツで母親のそばに、そっと寝かされていました。そして女の子は、アイと名付けられました。
アイは生まれたけれど二日たっても三日たっても泣き出す気配がないので家族は心配になってきました。アイに顔を近づけて息をしているかどうか落ち着いて居られませんでした。お乳を飲ませようとしたけれども全く飲む気配もなく、母まつ江も初めてのことで、こんな状態になろうとは誰も知るよしもなくどうして良いのか途方に暮れていました。祖母ミツは、せっかく授かった生命だから何とかしてやろうと一生懸命でした。脱脂綿に湯冷ましを含ませてアイの小さな唇を濡らし続けました。まつ江を励ましながら、スース眠るアイを生かしたいと諦(あきら)めてなるものかとミツは、まつ江を励ましながら望みを持ち続けたのです。
しかし三日たっても、四日たっても、泣き出す気配はありませんでした。そんな状態が続き皆んな、ほとほと疲れてしまいました。一週間になろうとしたとき、皆んな「だめかな」と半分諦めかけたのです。家族は気持ちを戻し、まつ江とアイを見守り天に任せて祈るしかありませんでした。アイがお乳を飲まないのでパンパンに張ってしまい、悲しくて泣きながら、しぼって捨てていました。男衆は家の周りで仕事始めとして、俵(たわら)作りや、藁細工の仕事を始めました。まつ江は、疲れて深い眠りに入っていました。今まで張りつめていた家族の気持ちに、自然が余裕を与えてくれたかも知れません。皆んなが仕事につきやり出した頃、何ぜか赤ん坊の声が聞こえてきた、それは何とアイの元気な泣き声でした。
皆んなは、「まさか」と自分たちの耳を確かめ合ったのです。「おい、聞こえるか?」「はあ、聞こえやすなぁ!」「泣いたぞぅ!」「泣き出したぞぅ、アイが泣き出したぞ!」「やーやあ、良かったあ、良かったぁ!」皆んな仕事の手を止めて、アイのそばにかけよって行き、驚いたり喜んだりでもう大変な騒(さわ)ぎでした。まつ江は、びっくりして目を覚まし茫然としていました。「だめ」かと諦めたのに家族の強い愛の心が天に通じたのでしょう。アイは生まれて一週間目で産(うぶ)声をあげ、暫く泣きやまなかったのです。しかし、まつ江がお乳を飲ませようとしたけれど吸う力がなくて、ただ泣くだけでした。母乳も飲めない、哺乳びんでも飲めないとなれば、どうしようもありません。まつ江も泣きながら家族にすがっても、どうして良いのか途方に暮れてしまいました。そして祖母ミツは、何か思いついたように台所から、小さな「さじ」と「お皿」にミルクを入れて、アイの小さな口にミルクを飲ませたのです。すると、だんだん泣き声が静まってきました。ミツは、アイにミルクを飲ます方法はこれしかないと考えたのでしょう。さすが人生の先輩、いろいろ経験積みからの知恵なのか、生活の知恵なのか、それからは根気よく祖母ミツとまつ江は、アイにミルクを飲ませることが仕事になりました。愛は生命の源、自然から生きる使命を与えられたアイは、小さな身体で一生懸命生きようとしている、皆んなの愛に包まれて可愛い小さな光のひとつぶの露が輝き始めていたのです。アイが元気に生き返った事で、皆んなホーツと安心したのでした。
そしてて村のしきたりで、子供が生まれて一週間たつと「御七夜」のお祝いをやるのです。近所の人達を呼んで赤ん坊をひろうする事になり、近所の人達はそれぞれにアイをひとめ見たいと次々に集まって来ました。まつ江が、奥座敷からアイを抱いて出てくると、あまりの小ささに最初は、びっくりしたようでしたが、つぎつぎに御くるみに顔をのぞかせて話しかけたのでした。「アイちゃんかーぃ?」「まーあ、いい名前だにい!」「よく頑張ったになぁ!」まつ江とミツは、アイが生まれてから一週間の出来事といきさつを涙ながらに語らずには居られませんでした。皆んなもうなずいて一緒に涙をふきながら話を聞いてくれました。まつ江とミツに、しっかり頑張るようにとカづよく励ましてくれたのです。こうしてアイは、家族や周りの人達に見守られて、すくすく育っていきました。