アイの日記 〜宇宙とつながる脳性麻痺のおばあちゃん〜

宇宙とつながるスピリチュアルなアイちゃんの日記です

石崎アイ 〜 生い立ち 8 〜

4、アイの旅立ち

 

水沢先生は女性だけれど、活発でたくましく厳しさあり、優しさもあり人間性からいっても教育者としても立派な指導者だと思いました。

こういう人間性のある先生に、身近に勉強を教えてもらえることはとても幸せなことでした。

水沢先生に認めてもらえたことで、ある面では、アイはとても恵まれていました。

アイに日記を毎日書かせて、敬一に学校へ持たせるようにと言ってくださったのです。

水沢先生の熱い志と敬一が中心になって、「動く教室」になってくれたので、

おかげでアイは、国語、算数、理科、小学校4年生までの勉強を学ぶことができました。

アイもだんだん大人になりつつ、自分の心でいろいろ年前からを学び取っていたことで、考え方も行動も全て素直すぎるほど素直な性格でした。

それは母親譲りのところもあって仕方がないことかもしれません。アイも自分の意見を言えるようになったので、家族はアイを生意気だとか、肩輪者だと見るようになって、みっともないとまで言われるようになりました。年頃になったアイは、まともに見てもらえない自分がとてもつらくなってしまい、一生大きくならないで、白雪姫の小人のようにいられたら良いと思っていました。当時の人たちの考えは、体の不自由なものを公に出したくないという考えでした。世間の目障りだと考えていた人たちが多かったため、障害者は外へ出ることを恐れていて、おそらく人並みに見てもらえる人は少なかったのではないかと思います。そして、アイも他人の目からジロジロ見られることがとてもつらくなってしまったのです。福祉関係の人から役場の人たちに、アイは初めて「障害者」という言葉を聞きました。妹の和泉も大きくなって、アイは和泉と楽しく遊んでいると父親が来て、和泉にかわいいよ洋服を買ってくれたと言って、妹の和泉を抱いて連れて行きました。アイにも何か買ってくれてあるかと思い、喜んで行ってみると、アイのものは一つもなかったのです。とても悲しくて、アイはその場にいられなくなり、畑へ行って思いっきり泣きました。そんな気持ちを誰がわかってくれようか。アイは誰にもわかりっこないと思いました。母、まつ江は母親でありながら、父親と一緒になって、アイに嫌味を言うようになったのです。アイも負けずに口をきくようになったので、まつ江はだんだん面白くなくなって、アイに言いようもなく、最初はいつも、おめえの親父は馬鹿でな。と始まるのです。そしてクドクドと口話が永遠に続くので聞くのが嫌になりました。まつ江は自分自分の我が子であるアイに普通では考えられないことまで言ってしまうのです。

 

「アイ!お前も女だ、いいか、女の子はなあ、月経っつうものが来るんだ。月経があるようになったらどうするだ」学校へ行かれなくなったアイは母親しか教えてくれるものがいなかったのです。まつ江の言葉は、母親として考えられない言葉を言ったのです。お前みたいなものは月経になったらな、尻から血でも垂らしながら村中這って歩けぇ!これまで言わなきゃわからねんだ」そしてまつ江はアイを家の厄介者とまで言って、まつ江はその場を去っていきました。アイはいくら憎らしい子供であっても、あんまりだと思い、悔しさとか悲しさで泣きました。母親から思ってもないことを言われて腹が立って負けずに言い返しました。「そんなににくかったらなぜ殺さなかったんだ。首を絞めて殺しちゃえばよかったんだ。今更何を言うんだ。今言ったことはな母親の言葉じゃねや!」母まつ江はアイに言われて驚いてしまい、言い訳をしながらも、アイのせいだと決めつけていました。小さい頃から母親や父親に嫌なことを言われ、心に傷をつけられてきたアイはおかげでとても強くなりました。しかし、アイは非常につらくなってしまい、なぜ母親が嫌がらせを行ったり邪魔をにするのか、自分が惨めに思えて、水沢先生に手紙を書きました。水沢先生は、アイに励ましの言葉でしっかり返事を書いてくださったのです。「アイちゃんも苦労して大変だったんですね。精神を鍛えた人は強いですよ。何事にも負けない立派な人です。先生もたくさんの苦労を味わいました。あなたのように頑張っている人は素晴らしいと思いますよ。苦しいことがあるから頑張ることができるのです。先生、楽しみにしています。頑張った後は、とっても清々しい良い気持ちになれますね。先生、今のところ忙しいけれど、アイちゃんのために頑張って、必ず会いに行きますからね。それまで待っていてください。それではお会いする日を楽しみにしています」

水沢先生にわかってもらえたことで、アイはとても嬉しいと思いました。